江津市松川町市村は島根県中央部西寄り、江川下流部右岸、江津市街より西に約5km程の所に位置する。江川の自然堤防上にできた集落で、古来より水陸交通の要地として、戦略上も経済的にも重視された地である。 鎌倉末期より川上地頭の在住地として、この地域の中心となり、市場の開設も見られたところ。中世より行われた12月20日の「歳の市」にちなんで江戸初期に川上村より市村に変更された。 江戸期は幕府領大森代官所支配地、天明5年(1785)から寛政4年(1792)の一時期は浜田藩領の波積組に属すが、その後再び幕府領大森代官所支配地になっている。 石見銀山から大家(現大田市)・井田を経て波積・都治・河上(市村)への道は、都治川に臨む地域で古来石見東部の重要な交通路、江川掌握上の要衝である。これらの地を押さえることは銀山と江川を掌握する上での重要課題との認識だったのだろう。 都治川が江川に合流する地点に近く、江川交通上の要地にあたるためここに川登口御番所が置かれていた。 元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚によると、家数本家29・門屋41・人数306・馬4・牛15。 文政2年(1819)の家数86・人数453・牛15とある。 菅笠が特産で市村菅笠として、石見・出雲・安芸で広く知られていた。 国道261号線がバイパスとして江川の堤防上を走ったため、古い町並みはその堤防下に取り残された形となり今に残っている。伝統的な様式の家屋が連続した町並みではないが、赤褐色の屋根をもった古い形式の町屋がそれなりに連なっている。ここも過疎に悩む町並みだなあと思いながらの探索だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
松川町市村の町並 |
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