江津市黒松町は江津市街から北東に約10km、江津市の最北端に位置し日本海の臨んでいる。 江戸期を通じて幕府領大森代官所支配地で波積組に属していた。 慶長7年(1602年)大久保長安による検地によって、中世の都治本郷が、後地村・都治本郷村・黒松村に分けられた。 元禄10年(1697)の石見銀山領村々覚によると、家数本家34・門屋50・人数422・馬3・牛22とあり、小物役として浦役・水夫役を支払っている。文政13年(1830)の村明細帳では浦役・水夫役の他に、波来浜役・後浜役・鰯網運上・生魚問屋運上・磯釣船運上・和布刈運上・海苔運上・大敷網運上・平島大敷運上・大島大敷運上・流網運上・波来浜運上・後浜寄小鉄運上など支払い、家数186・人数1,088とあり、「農業の間男女共漁業稼仕候」と半農半漁の状況を記している。 「郡村誌」によると家数は寺社を含めて269・人数1,330。民業は農業67・工業8・農漁兼業190で漁船39がある。 漁業は沿岸漁業で、波来浜の砂浜は絶好の地引網場・イワシ干し場であった。 町並みはJR黒松駅西方の海岸(海水浴場)に沿って展開している。かって地引網漁業で賑わっていた海岸である。平坦地の為か漁村独特の狭い路地のような町並みでなく、比較的ゆったりした敷地に家屋が建てられている。漁村らしからぬ漁村である。当然江戸から明治・大正と半農半漁の集落だったのだろう。 大きな屋敷に建つ重厚な赤瓦の建造物も各所にみられ、多分網元だったのだろうと思って探索を続けた。今は漁業に従事している方は少ないと思うが、町並みはゆったりした漁業集落と云う感じであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 島根県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1995年 |
黒松町の町並 |
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