江津市の南西部、敬川支流の伊予谷川のほとりにある温泉地。江戸期は上有福村と云われていた。江戸期を通じて浜田藩領。村高は「石見国高郷村帳」では219石余、「天保郷帳」では252石余。家数・人数は延亨3年(1746)66・355、明治3年92・438、「郡村誌」によると109・523で、農を業とする者62、宿屋21、工を職とする者12、商業7その他で、湯治場を中心として町場が形成されていた。人口の増加は有福温泉が湯治場として繁栄したことによると思われる。 温泉街を歩くと、山峡の斜面に雛壇の如く旅館や民家が建ち並び、石段が入り組んでいる。その景観から「山陰の伊香保」と言われる由縁が理解できる。古くから湯治場として栄え、現在の町並みも、その頃の雰囲気を残す鄙びた風景であったが、今営業している旅館は5〜6軒で、鄙びたと言うより寂れた温泉地という表現が当てはまる。 でも、共同浴場が発達した温泉地につき、タオルを手にした浴客や地元の方々が夜間も歩いている姿を見てホッとした。 島根県の歴史散歩 山川出版社 島根県の歴史散歩編集委員会 1995年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 |
有福温泉の町並 |
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