八頭町郡家は鳥取県東部、千代川の支流八東川支流の私都川の左岸に位置する。 江戸期は鳥取藩領。八頭郡の郡家村と区別するために、庄郡家村とも呼ばれていた。 村高は「元禄郷帳」486石余、「天保郷帳」558石余、「元治郷帳」587石余、「旧高旧領」598石余。家数は「因幡志」63、「文久3年組合帳」51。明治12年の家数67・人数296、牛29。 若桜街道が通り、慶安4年(1651)の在方ご法度には宿駅として郡家村が見える。しかしそれ以前の寛永14年(1637)の宿駅規定や、それ以後の万治2年(1659)の宿駅名には村名が見えず、慶安年間の前後の一時期のみ宿駅が置かれていたようだ。でもその後、安政3年(1856)には若桜街道の宿送継場に指定されている。 明治12年の郡区町村編制法施行や、明治29年の八頭郡成立後は八頭郡役所が郡家に置かれ、以後当地は国や県の出先機関が10以上設置され、八頭郡地域の行政の中心地として今日に至っている。 古い町並は、今の八頭町町役場に沿って延びる旧若桜街道で展開している。赤瓦の屋根が少ない町並である。養蚕農家の特徴の気抜きを残した家屋も見られる落ち着いた旧街道筋の町並だが、宿場町・在郷町の面影は殆ど見られないようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 鳥取県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1994年 |
郡家の町並 |
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