八頭町船岡の町並 
船岡
地図


船岡の町並

  八頭町船岡は鳥取県東部、千代川支流八東川の更に支流の大江川の下流域に広がる。
江戸期には大江川左岸の、大江川と八東川の合流点の河岸段丘面から沖積地の下船岡村と、大江川右岸、同川支流見槻川左岸に位置し、両川が合流する地点の段丘面に位置する上船岡村とに分かれていた。
只、中世には上船岡・下船岡の区別が無く、江戸時代にも上・下を冠せず一村として船岡村と称されることが多かった。江戸期を通じて鳥取藩領。
元和3年(1617)鳥取藩主池田光政の家臣丹羽山城守を船岡に配し、丸山山麓に陣屋を構えさせた。寛永9年(1632)鳥取藩主となった池田光仲は丹羽氏に代わって家老乾氏を船岡に置いたというが、陣屋の設置時期や位置もはっきりしない。
村高は下船岡村・上船岡村で「元禄郷帳」1,323石余・227石余、「天保郷帳」1,368石余・228石余、「元治郷帳」1,423石余・234石余、「旧高旧領」1,440石余・234石余。
家数は下船岡村で「因幡志」120、「文久3年組合帳」で下船岡村で159・上船岡村で33とある。
江戸時代には智頭街道と若桜街道とを結ぶ道が通る交通の要地で舟運も盛んであった。鳥取からの高瀬舟の遡限地でもあり、八東川上流域の年貢米や薪炭などを小高瀬舟で積出、船岡で大高瀬舟に積み替えて千代川に達し、鳥取に運ばれていた。
今、古い町並は若桜鉄道因幡船岡駅から南に延びる道に沿って、坂町から南で展開している。当地は平成の大合併前までは船岡町の行政・経済・文化の中心地として賑わっていた所。
山陰独特の赤瓦と黒い瓦の入り混じった町並。気抜きの小屋根を備えた家屋も多く見られるので、明治期から大正期にかけた養蚕が盛んだったのだろう。           
町並み指数  30
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年
  鳥取県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1992年


船岡の町並

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