高梁市有漢町有漢は高梁川支流の有漢川上流域に位置している。 江戸初期には下有漢村と云っていたが、その後上村・中村・下村に分れた。今回訪ねたのは江戸時代の中村の辺りで、落合往来が集落の西部を通っていた。同往来は塩坪(現高梁市)から北向して中村をかすめて、多和山峠を越えて中津井村(現北房町)を通って落合に入る往来である。町並みは有漢川にそった集落で展開していた。 江戸時代初め松山藩領、延享元年(1744)から伊勢亀山藩領のまま幕末に至っている。天保13年(1842)中村の家数90とある。 今、町並みは有漢川にそって延びる旧道に沿って展開している。バイパスとなって県道49号線(高梁旭線)が通っているので、旧道にそった古い町並みは比較的良好な状態で残っている。 この町並みで特徴づけられるのは、鳥取県側の赤褐色瓦葺き屋根と瀬戸内側の真っ黒な瓦葺き屋根が入り混じった町並みだったことだ。どちらの瓦も釉薬を施して凍てつきには強く作られている。裏日本側と瀬戸内側の文化の混ざり合った所だと、屋根を見るだけでも判る集落だった。 そんな中、特徴ある虫籠窓をもつ独特な意匠を施した造り酒屋さんの建物が目を引いた。主屋と土蔵は赤褐色瓦で葺かれているが、その他の酒蔵等は黒い瓦で葺かれていた。主屋と云わず土蔵も酒蔵にもナマコ壁が貼り巡らされ、この地の建物の特徴を余すところなく表現されていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
有漢町有漢の町並み |
有漢町有漢の町並み |
有漢町有漢造り酒屋さん |
有漢町有漢の造り酒屋さん |
有漢町有漢の町並み |
有漢町有漢の町並み |
有漢町有漢の町並み |
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