高梁市川上町地頭は岡山県西部、川上郡の南部に位置する。成羽川の支流領家川が南から北に流れ、三沢川や大竹川が合流する盆地に形成された町である。 江戸期は毛利氏の支配を経て、慶長5年(1600)幕府領、その後幕府領、旗本領、成羽藩領、津山藩預かりなどを繰り返し、嘉永6年(1853)から備後福山藩領で明治を向かえる。 村高は「備中至宝記」696石余、「天保郷帳」698石余、「備中村鑑」613石余、「旧高旧領」697石余。 高梁(松山)城下に向かう成羽往来と高山市に至る高山往来の結節点にあたる他、矢掛村に向かう道や、井原村に向かう笠岡街道の分岐点でもあり、交通上の要衝を成していた。 宝暦11年(1761)と推定される袖鑑によると家数139・人数670、牛32とある。寛永2年(1849)の田畑名寄帳によると、東組・西組に分けて記され、村高723石余、家数211、うち東組472石余・149軒、西組250石余・62軒とある。 地頭は交通の要衝として、当地域の行政・経済・文化の中心地として発展してきたが、農業主体の集落にはかわりなかった。 今、町を歩くと、造り酒屋もあるチョットした在郷町だったのだろう。伝統的な様式で建てられた家屋も見られるが、街道筋の農業主体の集落に僅かに商家が加わった程度の町だったと思われる町の様相であった。 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 |
川上町地頭の町並 |
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