JR伯備線総社駅から東約3kmの総社平野に位置している。江戸時代には西三須村と云い明治10年より西組を合併して三須村となっている。「備中誌」には上林村・下林村一帯を三須村と称したとある。 江戸時代は宇喜多氏の支配を経て、はじめ浅尾藩領、寛永13年(1636)からは旗本三須蒔田氏領。 天明6年(1786)の村明細帳では家数75とある。 今、三須集落を歩くと農村風景そのもので、総社平野の田園風景の中、三須丘陵の北側に展開している。大きな邸宅を構えた農家も多い農村集落と云う感じで、このような農村風景の中を歩くと、懐かしいようなほっとする感じである。 入母屋造りで本瓦葺き、ナマコ壁を備えた重厚な家、屋敷廻りを高い塀で頑丈にガードした家などバラエティに富む農村集落だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
三須の町並み |
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