瀬戸内市は邑久町虫明は岡山県の南東部、瀬戸内海に面したリアス海岸部にある天然の良港を持つ。 江戸期は宇喜多氏、小早川氏の支配を経て、慶長8年(1603)から岡山藩領で明治を向かえる。村高は「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに256石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに346石余。 寛永年間(1624〜44)以降、岡山藩筆頭家老伊木氏の給地となり、寛永16年(1639)備前東海岸警備基地として伊木氏の陣屋が設置された。その周りに家臣の屋敷も置かれ、海岸近くに置かれた町民の職業別配置もみられて、小城下町の様相を呈していた。 「備陽記」では武家を除く家数181・人数1,140。尚、宝永年間(1704〜11)には同じく家数182・人数1,100、文久年間(1861〜64)には家数304・人数1,538とある。 伊木氏陣屋を中心とする武家屋敷は上町といい、許可ない者の出入りを禁じて境界を設けて町人町と区別していた。 虫明湾は村の南に浮かぶ長島に隔てられて天然の良港となっていて、古代から潮待ち・風待ちの港として利用されていて、岡山藩が寛永19年(1642)に設定した13ヶ所の在町の一つであった。 港は産物・商品の積出や荷受けがあり、漁港として漁獲も多く漁船も100隻に及び、沿岸警備の官船も数隻が常備されていた。 今、虫明を訪ねると、小さな漁村の様そうであるが、どこか活気があると感じる。牡蠣の養殖の盛んな所で、牡蠣養殖では全国的に知られているそうだ。 伊木氏の陣屋があった辺りには土塀を巡らした民家が、町人が住んだ町家町辺りには土蔵を備えた伝統的な様式の家屋も見られる。明治期の建てられただろう旧虫明郵便局の建物も健在であった。 岡山県の歴史散歩 山川出版社 岡山県高等学校教育研究会 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
邑久町虫明の町並 |
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