妹尾村の中央を東西に金毘羅往来が通り、正保備中国絵図では、南面は遠浅の干潟に面していて、今では想像もできない。 妹尾村は宇喜多氏の支配を経て、慶長5年(1600)庭瀬藩領、寛文9年(1669)からは旗本戸川氏領となり明治を迎えている。 文政6年(1823)興除新田が干拓されるまでは、児島湾の干潟に面していて、、漁船以外の荷船は出入り不可能だった。 古くからの漁業集落であって、康永元年(1342)には妹尾浦の漁民が吉備津神社に魚貝類を奉納している。江戸時代のこの地の漁業は干潟漁が中心であった。 村民全員が日蓮宗信者であったところから、「妹尾千軒皆法華」と云われ、日蓮宗への改宗者は、その年の年貢を納めなくてもよいとされ、「未進法華」とも云われた。 町の中を貫く旧金毘羅往来は当時のままのようで、鍵曲がりも残っていて、横道に逸れると、陣屋町当時の細い道がそのまま残っていた。古い町並を構成する伝統的な民家は多くは残っていないが、切り妻造り平入り、中2階建てナマコ壁、本瓦又は桟瓦葺きの商家の建物が点在する。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989 岡山県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
岡山市妹尾の町並 |
岡山市妹尾の町並 |
岡山市妹尾の町並 |
岡山市妹尾の町並 |
岡山市妹尾の町並 |
岡山市妹尾の町並 |