岡山市南区小串は児島半島東北端、吉井川河口九幡の対岸に位置し、瀬戸内海が児島湾に入る湾口の南岸にあたる。 宇喜多氏、小早川氏の支配を経て、慶長8年(1603)から岡山藩領。小串村の村高は「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに500石余、「天保郷帳」721石余、「旧高旧領」754石余。 「備陽記」によると家数430・人数2,204、舟104、池24。当地は岡山城下への関門としての位置を占め、船掛かりのよい港であったので、岡山藩の米蔵が置かれ、旭川水系や吉井川水系から多数の高瀬舟(川船)が往来し、内海航路廻船への積み替えなど積出港の機能をもっていた。 主産業は漁業であるが、漁場は児島湾内より瀬戸内海であったので、他村との争論も起きている。 小串村の廻船業者は岡山藩の米蔵が置かれたことにより、江戸時代を通じて藏米の大坂輸送を課せられていた。 製塩も赤穂から製塩技術を導入しておこなわれていた。 明治期以降も良港として発展、明治末期の出入船舶数は、入港・出港とも3,500隻を数えた。しかし、第2次大戦後は岡山港の整備や陸路交通の発達により港湾機能は弱まった。 今、古くからの小串集落を歩くと、黒板塀で囲われた家屋が密集した漁業集落が見られる。中には大型家屋も散見でき、港町の機能があった当時の名残と思われる。 今の集落は農業では花卉栽培と養殖漁業に活路を見出している集落だそうです。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |