戦災で焼け残った地区で出石町一丁目・二丁目、番町二丁目、広瀬町などの、元外堀から中堀にかけての町で、津山往来に沿った町並を訪ねた。これらの町は全て岡山城下の町であった。 寛永(1624〜43)城下絵図では、この地域の旧町名の石関町・鷹匠町・弓之町・番町・出石町等は町名が記載されている。そして石関町は町人の商業地、鷹匠町は武家屋敷、弓之町は武家屋敷、番町は武家屋敷、出石町は町人の商業地であった。 津山往来に沿った両側町を構成していたが、戦災で焼け残ったと云えども、殆どが建替えられていて、古い民家は僅かに点在している程度であり、かっての町人の商業地も武家屋敷町も区別がつかないほど、面影がなくなっていた。 切り妻造り平入り、中2階建て又は2階建て、本瓦葺き又は桟瓦葺きで、ナマコ壁を取り入れた民家が多いのは、瀬戸内の民家の特徴だろう。 これらの古い伝統的な民家も、今では新しい町並に飲み込まれて、辛うじて存在を示す程度であるが、近い将来にはこれらの民家は無くなってしまうだろう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
広瀬町の町並 |
広瀬町の町並 |
広瀬町の町並 |
出石町二丁目の町並 |
出石町二丁目の町並 |
番町二丁目伊勢神社前の町並 |