日南町は中国山地の脊梁部、鳥取県の南西端にあり、岡山・広島・島根県の3県と接する県境の町で、生山は日野川の上流に位置し、その支流石見川が合流する位置にある。江戸期はじめは中村忠一の支配であったが、慶長15年(1610)から関一政支配となった。元和3年(1617)池田光政鳥取藩領となり、寛永9年(1632)鳥取藩領主が池田光仲となり鳥取藩のまま幕末を迎える。 村高は「元禄郷村帳」136石余、「天保郷帳」221石余、「元治郷村帳」252石余、「旧領 旧高」357石余。「伯耆志」では家数38戸・人数172人、「文久3年組合帳」39戸。「共武政表」によると明治12年の家数46・人数187、馬29・牛39とある。 日野川左岸を日野往来が通り、石見川に沿って玉島道が南北に通り、谷田峠を経て備中国に通じていた交通の要衝であった。 古くからたたら製鉄の中心地として知られ、住民の多くは鉄山関係の労働に従事していた。スコップ一杯の土砂で耳かき一杯の砂鉄が取れると鉄穴流しの採算が合ったといわれた。しかし、河底に砂が溜まると天井川の現象を起こし、水田に砂が入り、また木炭製造のため乱伐が続くと、洪水の原因となり、当然のように下流域農民との抗争が起った。 この地で起こった農民一揆は凶作に加えて、鉄山不況時に起っている。 そして安政の開国で洋鉄の輸入がはじまり、年を追ってたたら製鉄の採算が取れなくなり衰亡の一途をたどった。 今、町並は旧日野往来に沿って展開している。商店街になっているため、古い家屋は建て直されたり、改築されたりして町並全体は昭和の町並になっているが、奥日野の中心地として機能しているようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 鳥取県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1992年 |
生山の町並 |
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