新見市千屋実は岡山県北部、高梁川上流部 、新見市街から北に約13km程の所に位置する。 古くは中千屋村と称していたが、慶長年間(1596〜1615)上千屋・下千屋の両村と合併して千屋村となり、慶安年間(1648〜52)佐根(実)・井原・成地分に分村した。 江戸はじめ小堀氏の支配を経て、寛永19年(1642)松山藩領、元禄6年(1693)からは幕府領で明治を向かえる。 村高は寛文元年(1661)の検地では「佐根村」とみえ381石余、「備中至宝記」「天保郷帳」共に成地方を含み746石余、「備中村鑑」462石余、「旧高旧領」466石余。 当地方は砂鉄の採取事業が盛んに行われたところで、鉄穴流しの跡が至る所にある。 製鉄業には木炭が多量に必要なため、炭焼きや、それらの運搬のために牛が必要になり、木炭生産のため伐採された所が放牧場となり、木炭・牛の生産も活発に行われた。 正保3年(1646)以来この地に土着した鉄山師太田辰五郎は製鉄業と共に牛の生産・改良に力を注ぎ、高梁川水系の鉄山師の中でも知られた存在であった。製鉄や木炭生産は衰退してしまったが、牛は黒和牛の千屋牛として今も盛んに生産されている。 集落内を通る旧出雲脇街道から少し離れた所に旧太田家屋敷跡がある。今では広大な屋敷跡に石碑と土蔵の一部が残っているのみである。 集落の家屋屋根は赤瓦・赤褐色・黒瓦・赤色のトタン張り等バラエティーに富み、この地独特の屋根模様を展開している。切妻造り・入母屋造り・平屋・中2階・2階建てと統一性はなく、妻入り平入が入り混じった集落で、農山村集落そのものだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
千屋実の町並 |
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