美咲町原田は岡山県の中央部、吉井川支流皿川流域に位置する。 原田村は宇喜多氏・小早川氏の支配を経て、慶長8年(1603)から津山藩領。村高は「作陽誌」で1,277石余。「作陽誌」では一村として記載されているが、寛文元年(1661)原田東村・原田中村・原田西村の3ヶ村に分村されたが、明治5年に再び合併されて原田村となる。 そして訪ねたのは江戸期には原田中村と呼ばれた地域。 はじめは津山藩領、元禄10年(1697)幕府領、元禄14年(1701)甲斐甲府藩領、宝永6年(1709)幕府領、延亨2年(1745)播磨三日月藩領、宝暦13年(1763)下総古河藩領、天保6年(1835)幕府領、天保9年(1838)古河藩領。 原田中村の村高は分村後、「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに519石余。「作陽誌」によると家数48・人数258とある。 津山城下と岡山城下を結ぶ備前往来(津山街道)が通り、その両側に町並が形成されたいた。 主産業は農林業で、中心部の原田は亀甲型の巨岩が存在することにちなんで、亀甲(かめのこう)と俗称されている。 今、町並は旧津山街道に沿って展開しているが、古い町並と云えるかどうかは微妙なところ。 でも、古い街道筋の町並であるのはハッキリと見てとれる。街道に面して平入・切妻造り・2階建てが基本になっている。虫籠窓を残した家、土蔵を街道筋に持ってきた家、妻入りの家も見られる等、際立った特徴のある町並でない。赤褐色の瓦を乗せた家は見られなかったようだ。 地内にJR津山線の亀甲駅ある。駅舎が亀の甲羅に似せて造られ、頭まで付いている珍しい駅舎だったようだが、見損なったのは残念なことだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
原田(亀甲)の町並 |
原田(亀甲)の町並 |
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