美作市湯郷は吉井川支流吉野川右岸に位置し、往古からの湯治場である。 宇喜多氏・小早川氏の支配を経て、慶長8年(1603)津山藩領、元禄10年(1697)幕府領(寛政6年(1794)播磨龍野藩預かり地)、天保9年(1838)から津山藩で明治を向かえる。村高は「美作鬢鏡」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに652石余。「東作誌」によると家数88・人数309。 湯郷には倉敷往来が通り、古くから美作の湯として知られ、江戸期には津山藩の保護を受けて温泉地としてさかえ、奥津・湯原とともに美作三湯の一つと知られていた。 温泉は一の湯・二の湯・三の湯・女湯の四つに分かれていて、身分によって入湯する所が違っていた。 天保9年(1838)の書上帳では、家数80軒のうち44軒が湯治宿を専業とし、32軒は旅宿を営み、煮物・茶・酒・魚類・草履・鞋・菓子類・豆腐などを商い、4軒が木賃宿の経営や大工・綿打等を行っていて、町場が形成されていたと想像できる。 今、旧来からの温泉街を歩くと、湯治場当時の雰囲気が少しは残っているが、旧来の温泉街の外側にできた大型の旅館やホテルに客足が向いていて、中心の温泉街はひっそりとしていたのは寂しい感じ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
湯郷の町並 |
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