江府町宮市の町並
宮市 (宮市原上・宮市原下)
地図


宮市(宮市原)の町並

 江府町宮市は大山南西麓、日野川の支流船谷川の南岸に位置する。宮市には宮市と宮市原の二つの集落があるが、宮市原集落は明治になってから開拓でできた集落である。
宮市の江戸期は鳥取藩領。村高は「元禄郷村帳」275石余、「天保郷帳」354石余、「元治郷村帳」365石余、「旧高旧領」390石余。家数は「元文2年村分帳」40戸余、「伯耆志」32戸・143人、「文久3年組合帳」31戸。
明治の初め、洋鉄の輸入による和鉄の衰退とともに鉄山師は競って新田開発に着手した。日野郡根雨村の近藤喜八郎は鉄山労働者救済の名目で地内の如来原開田に着目、許可を得て工事に着手、明治14年には3町2反の新田が完成、そして明治24年までに、田地14町4反余・畑地2町9反余の開発が行われた。これにより15戸が入植し、宮市原集落が誕生した。
明治22年の町村制施行により江尾村・米沢村・神奈川村・米原村が成立し、宮市原が米沢村の中心地となり、米沢村役場が設置された。そして昭和28年江尾町・米沢村・神奈川村が合併して江府町が成立した。
今、集落内を歩くと旧内海乢(峠)越え延助道に沿って妻入り家屋が点在している。明治中期に開発され入植者が入った集落だから当然古い商家などはない。大型家屋も見られない。多くの山村農家集落で見られる比較的大型の農家家屋も殆ど見られない。棟を南北にして妻を旧街道に向けている家屋が連なることを考えると、入植時に与えられた土地の間口が狭かったと思われる集落であった。
町並み指数  20 
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年
  鳥取県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1992年   


宮市(宮市原)の町並

宮市(宮市原)の町並

宮市(宮市原)の町並

宮市(宮市原)の町並

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宮市(宮市原)の町並
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