月田(宮原村)は出雲街道沿いの城下町として繁栄した高田村(現勝山町)から、月田川を遡ったところに位置する。江戸時代には高田村を起点として荒田村から月田川に沿って月田本村、若代村を経て備中の小坂部村(現大佐町)から、東城(現広島県東城町)に至る東城往来沿いの集落として繁栄していた。 中世から月田郷の中心地とされ、市場が成立して紺屋などもいたとみられる。 江戸時代は宇喜多氏、小早川氏の支配いを経て、慶長8年(1603)津山藩領、元禄10年(1697)幕府領、明和元年(1764)からは勝山藩領になり幕末に至る。 作陽誌(元禄4年成立)によれば家数41・人数212.。 享保2年(1717)の史料に、宮原村上分庄屋次右衛門・下分庄屋次右衛門が見え、当時宮原村は上下に分かれていた。明治5年に上下が合併して宮原村になり、明治14年に下田村・石原村・三堂坂村・手谷村・芝村と合併して月田村となる。 月田村は木材で栄えた町で、特にヒノキは月田ヒノキと呼ばれ、岡山市場でも価格が高かった。その繁栄の歴史を今伝統的な家屋な連なる町並に偲ぶことが出来る。また月田は竹細工の産地としても知られ、明治期から大正にかけて70人以上が竹細工に従事していたようだ。 今、町並は往来に沿って展開しており、中2階建て切り妻造り、平入りの伝統的な商家の建物が連なり、木材や竹細工で繁栄していた当時を彷彿とさせる。 岡山県の歴史散歩 山川出版社 岡山県高等学校教育研究会 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 |
月田の町並み |
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