鴨方往還は岡山藩によって岡山城下を中心に放射状に整備した街道の一つで、城下から鴨方を通り、笠岡までの道を云います。 この鴨方往還辺りは、今では海岸から遠く離れているが、かっては高岡湾として近くまで海岸が迫っていた。 富岡村は応神山の南側山裾部分と、延宝2年(1674)備後福山藩の普請奉行上田玄蕃を開発者に干潟を干拓した新田部分からなる村だった。その後も干拓が繰り返されていたが、昭和33年に干拓陸地化されたのが現在の地形である。 元禄郷帳には富岡新田村とある。その後も徐々に干拓されたと思われ、元禄13年(1700)の地検明細帳では家数171・人数769とある。鍛冶・醤油・酒造などが行われていた。 今古い町並みは、旧鴨方往還に沿って笠岡と富岡で約1km程に亘って展開している。平入り・切り妻造り・中2階建ての商家建物が連続している光景は、昔街道筋が如何に繁栄していたかの証である。 ナマコ壁の家・格子を残した家・虫籠窓を備えた家等々が古い町並みを構成していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989 岡山県の地名 平凡社 下中直也 1988年 |
笠岡の町並み |
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富岡の町並み |
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