岩美町岩井の町並
岩井
地図


岩井温泉の町並

 岩美町は鳥取県最北東端で、岩井は蒲生川中流域左岸に位置する。
岩井村は江戸期には湯村といい、湯村宿とも云われていた。江戸期を通じて鳥取藩領。
村高は「元禄郷村帳」921石余、「天保郷帳」910石余、「元治郷村帳」943石余、「旧高旧領」967石余。戸数は「因幡志」158、文政5年(1822)124、安政5年(1858)109、「文久3年(1863)組合帳」104。明治7年には湯村から岩井宿と改称している。
慶安4年(1651)宿場となり、享保4年(1719)には店舗を構えての商売が許可された。延亨4年(1747)藩主池田光仲によって御茶屋・湯小屋が建てられた。湯小屋は全部藩の所有で、藩主専用の一の湯・諸士の二の湯・新湯は百姓町人が利用したが、一の湯以外は銭湯であった。他に入込湯・下入込湯・小女郎湯・男湯・女湯と分けられていた。
旅籠数は宝暦7年(1757)12軒、明和7年(1770)が9軒、天明8年(1788)16軒、文化14年(1817)12軒、安政2年(1855)12軒、慶応4年(1868)9軒であって、湯庄屋が置かれて給米2石が支給されていた。
参勤交代の大名が通らないので宿場と云っても規模が小さく、安政2年(1855)には18軒の商人が店を構えているに過ぎなかった。酒造店1・絞油店1・醤油店1・鍋屋1・魚屋3・麦藁細工屋2・ろうそく荒物屋1・飴うどん屋1……等々。
岩井温泉浴場は明治10年外湯普請が行われ、明治39年共同浴場が改築された。
明治末期には山陰本線が開通し、京阪神方面から多数の観光客が訪ねるようになり、大正11年には山陰本線岩見駅と岩井温泉の間に町営の軽便鉄道岩井軌道が敷設され温泉客の輸送に大きく貢献した。
享保7年(1722)、宝暦7年(1757)、天明8年(1788)などに火災に見舞われ、寛政4年(1792)にも火災が発生し大きな被害を出している。最近では昭和9年に温泉街を総なめする大火が発生し、壊滅的打撃を受けた。その後、次第に戦時色化したため、復興後の繁栄は戻らず衰微の一途をたどった。
敗戦後の昭和26年には岩井観光協会が設立され、岩井温泉復興の原動力となり、山陰国立公園の蒲富海岸や鳥取砂丘も近く、昭和28年には国民保養温泉地に指定され、賑わいを取り戻した。
温泉街は現在、約200mそこそこの長さであるが、町並の様子から以前は500m程の長さだったと思われる。旧山陰道の両側に旅館・土産物店・食堂などが並んでいただろうが、今は旅館が3軒と共同浴場の「ゆかむり温泉」・旧旅館跡の資料館と僅かなお店が点在している程度の寂れた温泉街であった。でも共同浴場の「ゆかむり温泉」は引っ切り無しに入湯客が訪れて賑わっていたのが印象的だった。
町並み指数  30  
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57年
  鳥取県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1992年   


岩井温泉の町並

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