市瀬上板井原は智頭の市街地から北東4km位の山中に位置する。かっては山を越えて行かねばならず、簡単には訪ねられなかったが、今はトンネルの開通により、智頭市街地から車で10分程度で行けるようになった。 かって明応8年(1499)には土地の売買があった事が判明している(惣領権之守売渡状(因幡志)) 正保年間(1644〜48)以前から市瀬村の内村として成立していたが、正保国絵図には載せられず、元禄国絵図には載っている。 その後 享保19年(1734)までに領内限りの一村として認められ、村役人も別に置いていたが、享保19年(1734)の鈴木孫三郎所持本「因幡志」によると、高16石余り、家数30で、産物は晒葛、槿、柳、麻苧などであった。 天保10年(1839)当村庄屋・年寄は連名で願書を提出し、同9年の凶作を理由に御救米15石の下付けを願出ている(国米家文章)。 現在、この集落を歩くと、明治から大正期に建った大きな養蚕のための家屋も残っているが、そこに住んでいる方たちを見ると、お年寄りばかりが寄り添って生活されていて、中には無住の家もある。 農林業で生計を立てることは困難になり、多くは集落を離れて他所の都市に出て行き、お年寄りが残ったのである。でもこの地で冬を越すことは困難を伴うので、多くは冬の間は無住になり、春になればお年寄りが帰ってくるという状態である。 智頭町では、放置すれば廃村になるこの集落に活気を与えようと、「エコミュージアム」の格と位置付け、各種イベントを開催している。 その一つに「養蚕の家」と名づけて、古い民家を解体し修理・復元して、この集落に活気を与える核にしようと、今改修工事中であった。 集落の家々の軒下に太い杉木を切っただけのものが置いてあり、用途を尋ねると、イベントがあったときに、お客さまに座っていただく椅子だとのこと、いつまでもこの集落が存続する様に願はずにはいられない。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57 鳥取県の地 日本歴史地名大系32 平凡社 1992年 中国地方のまち並み 中国新聞社 中国地方まち並み研究会 平成11年 |
大きな家屋は養蚕全盛期の名残 |
|
これも集落のメインドーロ |
別棟の風呂を沸かしていた |
集落のメインドーロ |
この道もメイン道路 |