中世の山陽道はこの藤井村の北側を通っていたが、宇喜多秀家の時代に道筋を付け替えたために藤井村を通るようになり江戸時代には藤井宿なっていた。 藤井村は宇喜多氏・小早川氏の支配を経て、慶長8年(1603)から岡山藩領となり、そのまま明治を迎えている。享保6年(1721)編集の備陽記によると、家数48・人数331で、本陣は寛永年間(1624〜44)に設置された。本陣役は安井家が世襲し,脇本陣も置かれていた。そして安政期(1854〜60)には東西二つの本陣が置かれた、従来のものは西本陣と云われた。 その他に大名水野家が営む問屋、大名毛利家の飛脚、又一般の旅行者の宿泊する旅籠屋や休息所などが多くあった。 しかし、伝馬と継ぎ人足は常に不足していて、隣村の鉄村、北方村、宿村からの人馬に頼っていた。 西国大名が岡山城下通過後最初の休泊する地として賑わっていたようだが、今はその面影はなく、旧山陽道の街道に沿って裕福な農家集落の町並程度である。 建て方から見て、江戸末期から明治にかけての家屋と思われ、ナマコ壁の主屋や土蔵が目を引く。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989 岡山県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1988年 |
岡山市藤井の町並 |
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