岡山県の中央部、ゆるやかに丘陵が起伏する吉備高原の一角、標高350mのところに加茂川町円城がある。 「こんな片田舎の山奥にどうして……」という感じである。円城寺は古く奈良時代に創建され、鎌倉時代に現在地に移ってきた天台宗の古刹である。盛時には塔中十四ヶ坊、末寺六ヶ寺を数えたと伝えられ、円城はその門前町であった。 門前の町並みは鎌倉時代中期に形成され、江戸時代には近郷の商業の中心として、明治時代には行政の中心地にまで発展した往時の繁栄を偲ばれる。 戦国末期には宇喜多氏の支配で、江戸時代に入り小早川氏の支配を経て、慶長8年から岡山藩領。享保6年(1721)の「備陽記」によると円城村の家数94軒・人数453人となっている。明治37年の戸数801戸・人口3687人であった。ちなみに昭和60年には戸数116戸・人口357人である。 境内の一隅に寺の鎮守として提婆宮が祀つられている。白狐が奇跡を起こすとの伝説により有名になった。もともと雨ごいに霊験あらたかとされていたが、いつのころからか、商売繁盛のご利益がある神様として知られるようになった。 近郊近在はもとより、岡山や倉敷、津山など岡山県内一円の、主として商家に信心された。江戸末期から明治初期にかけてが最盛期であった。参道沿いに旅篭や商店が軒を連ね、日用品の市が立ち、門前町は一帯の商業の中心地ともなって栄えた。 そんな賑わいは、昭和の初めまでは続いていた。しかし、交通の便の悪いこともあって、人々の足は次第に遠のいた。円城村が消えて村役場はなくなり、登記所も廃止された。行政の中心でもなくなった。 昭和55年に岡山県から「ふるさと村」の指定を受け、門前町の町並みの保存を図り、民族資料館やふるさと茶屋・無料休憩所などを整備し、田舎の味わいを、静かな山里を求めて人々が来るように整備されつつある。 町並み全部歩いても5分とかからない小さな町並みである。でも小学校もある。郵便局もあるとなかなかどうして立派なものである。町並みはわずかの間であるが、農村風景としてふるさと村に指定されているだけ、落ち着いた村落である。町並みの中に鍛冶屋がある。やはり繁栄していた時代の名残であろう。煙りだしのある家を訪ねると、菜味という料理屋兼喫茶店であった。古い伝統的な家屋で営業されていた。 岡山町並み紀行 山陽新聞社 山陽新聞出版局 1999年 岡山県の歴史散歩 山川出版社 岡山県高等学校教育研究会 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 |
集落で唯一の料理屋兼喫茶店の入口 |
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