大山町所子は阿弥陀川の下流域、阿弥陀川扇状地の扇央部に位置している。 所子村は中世末には大山寺領で、慶長5年(1600)米子城に中村忠一が配されると、同寺から所領を没収されたらしく、中村氏改易後の慶長15年(1610)西楽院僧正豪円が返付を願い出た所領の内に所子が入っている。 江戸時代には鳥取藩領で、拝領高489石余。「元禄郷村帳」では552石余。 元文2年(1737)村分帳では50軒。天保9年(1838)64軒であった。 汗入郡の大庄屋を務めた、所子村の門脇家は延宝〜天和年間(1673〜84)頃三右衛門のとき、汗入郡平木村から当地へ定住し、田畑の集積を行い弘化4年(1847)には阿弥陀川流域29ヶ村の78町3反余・高1,106石余を持つ大地主に成長した。また米の他に木綿・古手物・紅花などの販売や貸金業にも携わり、文政4年(1821)には銀239貫余、金537両余の収入があった。 今、所子集落を歩くと50戸余の集落の中で、門脇一族と思われる3軒の門脇家が集落全体の1/3程度の面積を占める大きな屋敷を有している。その中の本家の門脇家の茅葺屋根の主屋をはじめ米蔵・新蔵などが国の重要文化財に指定されている。 この門脇家をはじめとする、集落の各家は板塀や板壁で周囲を囲み、独特の雰囲気ある景観を呈している。このような板塀や板囲いは一般的には海岸沿いの集落で見られるのであるが、海岸から少し距離があるこの集落で見られるのはどうしてであろう。 板囲いの門脇家住宅の付近は、手入れの行き届いた見越しの松も景観に彩りを添え、江戸末期から明治初期の豪農集落という雰囲気を呈していた。 大山の北麓に突如現れるこの景観は特異としか言いようが無いように思う。 鳥取県の歴史散歩 山川出版社 鳥取県歴史散歩研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 鳥取県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1992年 |
所子集落の町並(門脇家付近) |
所子集落の町並(門脇家付近) |
門脇家の主屋 |
所子集落の町並(門脇家付近) |
所子集落の町並 |
所子集落の町並 |