四日市市日永の町並
日永2・日永3・日永4・日永5
地図


日永2丁目の町並
 四日市市日永は三重県北部、四日市市街中心部より南西に約3km、天白川流域に位置し、旧東海道筋に沿った集落である。
江戸時代初めは幕府領、宝永6年(1709)長島藩領、正徳4年(1714)頃は幕府領、享保9年(1724)大和郡山藩領、延亨3年(1746)神戸藩領となり、天保14年(1843)頃は幕府領と神戸藩領の相給であった。
村高は「慶安元年郷帳」2,332石余、「元禄郷帳」3,577石余、「天保郷帳」3,589石余、「旧高旧領」では3,577石余(うち神戸藩領2,310石余・幕府領1,267石余)。
天保14年(1843)の日永村高反別差出帳には幕府領の様子として、家数152・人数628とあり、明治5年の神戸藩領分の村明細帳によると、家数252・人数1,015とある。
地内を東海道が通るため、旅客相手の茶店もあり、土産品としては「日永うちわ」「日永足袋」「なが餅」が売られていた。中でも「日永うちわ」は伊勢参宮客の土産品として全国的に知られた。
昭和16年の家数1,012・人数6,552、職業別戸数は農業437・工業122・商業135・交通運輸4・公務自由業25・その他289。
今、この旧東海道筋の町並を訪ねると、昔からの道幅のところに、自動車がひっきりなしに通り、町並探訪も危険極まりない状態である。その上一方通行でないので、離合も難しいような道の両側に伝統的な様式の家屋が点在している。一見して古い街道筋であることが理解できる町筋である。
街道に対して平入・妻入り、切妻造り入母屋造りの家屋が入り混じった町並。屋根瓦は黒く、桟瓦葺きの家屋であった。
町並み指数 30
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名・大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

日永2丁目の町並

日永3丁目の町並

日永3丁目の町並

日永3丁目の町並

日永3丁目の町並

日永3丁目の町並

日永4丁目の町並

日永4丁目の町並

日永4丁目の町並

日永4丁目の町並
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