津市上浜町の町並み
上浜町1丁目・上浜町2丁目・上浜町3丁目・栄町4丁目
地図


上浜町2丁目の町並
 JR津市駅の近くを通っていた、旧伊勢参宮街道沿いに古い町並が残っている。上浜町3丁目〜1丁目を経て栄町4丁目辺りである。
江戸時代には大部田村といい、志登茂川に架けられた橋を江戸橋といい、参勤交代で江戸へ出発する藩主をここまで見送ったという。
二代目藩主藤堂高次の奨励策(新築補助費の支給)によって町並整備が行われ、寛文7年(1667)には町屋が建ち並んだという。そして元禄6年(1693)の家並は363間半であった。元禄12年の「洞津行脚土産」によると、志登茂川沿岸に倉庫が建ち並び、漁船・商船の往来が盛んであった。茶屋町もあり天和3年(1683)・宝永3年(1706)・寛政12年(1800)など数回に亘って茶屋の旅人宿泊の禁止と元禄元年(1688)に葉煙草製造・密売禁止の御触れが出ていて、茶屋町の繁栄が伺える。
天和元年(1681)の資料によると大部田村の家数176。寛延(1748〜51)頃の「宗国史」によると家数229・人数953。明治5年の村明細帳では家数250・人数1,289とある。
町並の発達は旧伊勢参宮街道の両側に細長く南北に発達した町並で、すぐ裏には水田が広がっていた。城下町ではなかったが、城下町に接するため町場化していて、扱いも城下町に準じた扱いであった。
今、古い町並が上浜町1〜3丁目にかけて、旧伊勢参宮街道沿いに残っている。
伊勢方面特有の霧除けのオダレを軒先にそなえた民家が連なる。早い時点で国道23号線がバイパスとなってこの街道の東側を通ったので、町並には比較的多くの古い伝統的な形式の町家が連なる。豪邸もあり、旅籠だったと思われる家屋も残っている。
また、県庁所在地の駅前近くに、こんな昔ながらの長い街道筋が残っていることが不思議と思えてならなかった。
町並み指数 40  
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

上浜町3丁目の町並

上浜町3丁目の町並

上浜町3丁目の町並

上浜町3丁目の町並

上浜町3丁目の町並

上浜町2丁目の町並

上浜町2丁目の町並

上浜町2丁目の町並

上浜町2丁目の町並

上浜町1丁目の町並
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