津市久居地区伊勢街道沿い町並み
久居幸町・久居旅籠町・久居本町・久居二ノ町
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久居幸町の町並
 久居は久居藩城下町として発展し、津市の衛生的性格を持ちながら一志群の政治・経済・文化の中心地として発展してきた
久居は津藩主藤堂高虎の孫高次の三男高通が、寛文9年(1669)に久居に築城し、津藩の支藩久居藩として整備した城下町です。御殿は今の久居西鷹跡町の高通公園や久居中学校の場所で、武家屋敷は今の久居西鷹跡町、久居東鷹跡町辺りの、東西11町、南北4.5町〜8町の土地に約200戸の武家屋敷を造った。町屋は本町・二ノ町・幸町・万町・旅籠町・愛宕町・寺町・五軒町・七軒町・八幡前に町割りをした。
久居は伊勢・奈良を結ぶ伊勢表街道や伊賀街道長野宿から進み、現安芸郡美里村から分かれて伊勢参宮街道に通じる奈良街道が通る。江戸初期から中期位までは、この平田宿・平松宿を通る伊賀街道から奈良道に入り、伊勢参宮街道へ入る人が多かったが、江戸も後期になってくると、桜井・長谷・榛原・三本松と伊勢表街道を通る人が多くなってきた。
どちらの街道を通るにしても、久居の町並を通過せねばならず、久居城下の通行量はは相当多かった。文政13年(1830)のおかげまいりでは、旅籠町で宿泊した者は一夜に1,400〜1,500人に達し、問屋役であった清水家でもやむをえず旅人を宿泊させることにすると、一夜に200人も泊まったことがあり、一ヶ月に2,000人に達したという。
街道は久居城下町の中を、久居万町・久居幸町・久居旅籠町・久居本町・久居二ノ町・久居元町と進み、今の桃園工業団地辺りで雲出川を渡っていた。
街道筋で本町一丁目から旅籠町へ曲がる辻が交通の要衝で、ここに高札場があった。
今、古い町並は万町から幸町と続く。この辺りの江戸時代は職人町であった。旅籠町では伝統的な様式の家屋は僅かに点在程度であるが、江戸時代には名前の如く旅籠が並んでいた。そして長く南北に続く本町でも古い様式の家屋が点在している。この本町が町屋の中心で商業店舗が軒を並べていたのは昔も今も変らない。
町並み指数 30  
参考文献
  三重県の歴史散歩  山川出版社  三重県高等学校社会科研究会  1994年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

久居幸町の町並

久居旅籠町の町並

久居本町の町並

久居本町の町並

久居本町の町並

久居二ノ町の町並
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