豊川稲荷で有名な豊川市、かっての豊川村は東三河平野のほぼ中央に位置する。 豊川村は慶長9年(1604)の検地帳によると、654石余りの在郷町としての性格も持つ農村にすぎなかった。享保3年(1718)の家数195・人数857、享保20年(1735)の家数156・人数648であった。 その豊川村が豊川稲荷の門前町として発展するのは、享和年間(1801〜04)以後の参詣者が増加してからである。信者寄進の灯篭などから見ると寛政3年(1791)のものが最も古く、天保年間(1830〜44)になって増えてきている。商売繁盛・家内安全・福徳開運の神として広く庶民の信仰を集め、特に飛躍的に発展する契機となったのは、天保5年(1834)の妙厳寺が稲荷(鬼神咤枳尼真天)を開帳してから参詣者が増はじめ、若葉屋・だるま屋・角屋・柏屋・大嶋屋・江戸屋などの宿屋ができ、門前町が形成された。 明治30年豊川鉄道豊橋〜豊川間(現JR飯田線)の開通と豊川駅の開設が門前町を飛躍的に発展させ、豊川駅と山門との間に新市街・表参道をつくった。更に明治41年から総檜造り稲荷本殿工事が行われ賑わいを増した。 産業は明治中期から養蚕が発達し、大正15年には総戸数713軒のうち養蚕農家が77軒と1割以上を占めていた。 年間数百万人が訪ねる門前町は活気が溢れていた。私が訪ねたのは真冬の平日の夕方も暗くなってからだが、多くの参詣客で溢れていた。表参道だけでなく、表参道と交わる道も歩いて探索し、伝統的な様式の古い家屋を探して歩いた。 土産物屋・飲食店・仏具店など参道に並ぶ商店は活気にあふれていた。 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 愛知県の歴史散歩下 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 |
西本町の町並み |
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門前町の町並み |
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豊川仲町の町並み |
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東豊町の町並み |
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