愛知県豊川市御油町は愛知県の東部、 豊川市の西部、音羽川の中流域に位置する。 御油村の江戸期は幕府領、村高は「寛永高附」646石余、「元禄郷帳」734石余、「天保郷帳」736石余、「旧高旧領734石余。地内に東海道御油宿が置かれていた。天保8年(1837)の村差出帳によると家数320・人数1,304とある。 御油村内に宿場を形成し、伝馬朱印状には「赤坂・五位(御油)」と併記され、2宿で1宿分の業務を負担していたと考えられている。天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると、御油宿の町並みは長さ9町32間、戸数316、人数1,298、本陣4、脇本陣なし、問屋場1、旅篭屋62とある。 各旅籠には飯盛女がいて、「御油や赤坂・吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」とうたわれたように赤坂や吉田と共に歓楽地であった。 御油−赤坂間は東海道でも最も短い距離で、歩いて30分たらずである。 御油宿は道幅も昔ながらで、格子戸の家があり宿場町の風情を残して、静かな街道の雰囲気がある。御油の熊谷家は切り妻造りの2棟の連棟の建物で、平入り、どちらの棟も背の低い二階建、一階も二階も殆ど全面に連子格子がはまっていた。右側の棟には煙出しが付いていて、桟瓦葺であった。御油宿には他に中田家・森家・近藤家などの伝統的な町家があった。どの家も切り妻造りの背の低い二階建てで、平入り、一階、二階ともに格子が多く使われていて、出格子も殆どの家に付けられていた。袖壁のある家もあった。 御油宿の町並みが途切れたところから松並木がはじまり、松並木が終わったところから赤坂宿がはじまる。 この松並木は国の天然記念物に指定され、街道の両側に見事な松並木が600mほど続く。江戸時代から松並木保存の努力がなされていたが、昭和47年「天然記念物御油松並木愛護会」が結成され、献身的努力で保存がはかられている。 愛知県の歴史散歩下 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
御油町の町並 |
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