鳥羽市答志町は伊勢湾と鳥羽港の境に位置する答志島の南と東部分を占め、集落は南東部に、和具集落と答志集落がある。 江戸期は鳥羽藩領で、村高は享保11年(1726)の村差出帳、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに357石余。延亨2年(1745)の家数278・人数1,212、明治13年の家数307・人数1,537とある。 享保11年(1726)の村差出帳によると船数250艘、うち鰯網船・商船45、チョロ船205がある。 農業・漁業を生業とした集落であり、村高357石余のうち浦役高8石、水主米高116石余とあり、主な小物成に水主米54石余とあることから、藩の船役を多く行っていたようである。 漁業では鯛・鰤・サヨリ・アワビ・サザエ・ウニ・ワカメ・ヒジキ・フノリ・テングサなどを獲っていた。 今、和具と答志集落を歩くと細い路地道が縦横に走る密集漁業集落の典型とも思える様相で、家と家との屋根が重なり合っているような中を細い道が走っている。すれ違うのにもどちらかが避けないと通れないような所も多い。そんな中にもお店があったり、食堂があったりして驚く。 和具・答志集落とも大変活気がある集落で、ホテル・旅館もあり観光客も訪れているが、それよりも漁業で潤っているような集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1938年 |
答志町和具の町並 |
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