鳥羽市坂手町の町並
坂手町
地図


坂手町の町並
 鳥羽市坂手町は三重県南東部、志摩半島北東端の鳥羽市街から東約1kmの鳥羽湾に浮かぶ島。島周りは4km・面積0.5平方キロメートル、全島痩せ地で僅かに段々畑があり、集落は東南部に集まっている。
江戸期は鳥羽藩領、村高は延亨3年(1746)75石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに74石余、延亨3年(1746)の家数152・人数695、明治13年の家数289・人数1,378とある。
江戸期は風待港・廻船の寄港地として繁栄した鳥羽港の防波堤の役目を果たした島。耕地が狭小のため、天保飢餓の時は島民の半数近くが餓死し、これに懲りて山頂近くまで段々畑を造った。これにより頭上運搬の風習が残っている。
訪ねたのは土曜日で、鳥羽市・伊勢市・松阪市へ通勤するサラリーマン世帯が多いと聞いていたが、その割に人影が見られない。元々は漁業集落であったが、今は漁業を生業にしている方は10パーセントにも満たないとのこと。集落で見かけたおばさんに話しかけると、年寄りで年金暮らしの家か、空き家ばかりだと云っておられ、限界集落には見えないが、過疎化が進んでいるのは確実な小さな島である。
漁業者は少なくなったようだが、家屋の形態は板張りの家が多くあり、集落形態は密集型の漁業集落そのものであった。
海を隔てているが直線距離にして600m程で、鳥羽市郊外の観光リゾート地の巨大ホテルや大企業の保養所が乱立する対岸を眺めての生活、その落差の大きさを目のあたりにした集落探訪は複雑な心境で心痛む時間だった。
町並み指数 40
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦  1938年   

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