知多市の岡田集落は、江戸時代初期から木綿の産地として知られていて、今も当時の豪勢な屋敷がそのまま残っている。 岡田村は江戸時代は尾張藩領、横須賀代官所支配で全村蔵入地であった。 知多半島特に西知多は近世初頭から知多木綿の特産地として知られており、岡田村はその中でも著名で、木綿買継問屋の中島七右衛門と竹之内源助の両家が木綿の集荷・販売の中心となって活躍していた。江戸初期にはこの地の木綿は伊勢へ移出され、晒されて伊勢晒や松阪晒の名で販売されていたが、天明年間(1781〜89)に中島七右衛門が伝えたと云われる晒技術により、伊勢商人への依存から次第に独立した知多晒の名で江戸・名古屋方面で販売された。 と云っても、主産業は農業であるが、岡田村やその周辺農家は、木綿つむぎによって生計を助けていた。 「寛文覚書」によると岡田村の家数は159・人数969とある。安政2年(1855)には1,860人とある。 この地の木綿は明治に入っても隆盛を極め、明治27年に木綿晒業組合が結成され、知多郡における木綿商工業の中心地となっている。 今の岡田集落内には大きな屋敷地に重厚で広大な家屋を持った民家が並んでいる。 江戸・明治時代の木綿での潤い。大正に入ってからの養蚕業での潤いの賜物だろうと思われる。街道筋の町屋でないので、統一的な様式の建物でなく、裕福な豪農が多い農村集落という感じの集落である。 愛知県の歴史散歩上下 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
岡田の町並 |
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