丹生村は古代より水銀生産で有名だった。水銀の産出は、鎌倉期から室町期・江戸期へと続いたが、明暦年間(1655〜58)のころには途絶えたと云う。 江戸はじめは松坂藩領であったが、元和3年(1617)から津藩領、同5年からは紀州藩松坂領となり明治を向えている。 当地で産出する水銀を商う梅屋(長井氏)という豪商も現れ、丹生村は経済的に豊かな村であった。「勢陽雑記」にも「丹生の在家一千軒計り有りて、民屋富たる景気なり、此所より古来暦書を編出す、水銀山有り、日域他地なしと云々、然れども近年掘絶えける」とある。 射和(松阪市)の白粉はこの丹生水銀を原料として製造販売されたものである。 また、伊勢街道(和歌山別街道)の宿場町としても繁栄し、丹生大師への参詣人も多かった。 今町並は旧和歌山別街道に沿って展開している。水銀で栄えていた頃の遺跡もあるが、江戸時代にお陰参りで賑わっていた頃の宿場町の面影は色濃く残っている。 切り妻造りで妻入りの商家の建物、霧よけのオダレを軒に備え・板壁の伊勢地方独特の家屋が連なっている。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
丹生の町並 |
丹生の町並 |
丹生の町並 |
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丹生の町並(つちのこさんより借用) |