鈴鹿市石薬師町の町並み
石薬師町
地図


石薬師町の町並
 慶長6年(1601)に東海道に伝馬制度が設定されたが、四日市から亀山までの21.5kmには宿場がなかった。交通量の増加につれて宿場の必要性が生まれ、元和2年(1616)に付近の人を集めて石薬師宿をつくり、さらに数年遅れて庄野宿が開かれた。
元和2年(1616)の石薬師宿の成立は、この宿の元本陣小沢家に残る延享4年(1747)の宿役軽減嘆願書によると、この地には家数32軒しかなく、隣の上野村との合宿を命じられたが、この村も12軒しかないので、付近より人家を集めて、180軒で宿立てしたとある。
天保9年(1838)の村差出明細帳によると、宿の構成は南北8丁あまり、本陣小沢家・岡田家・蘭田家は西側のほぼ中央に、問屋場はその東側にある。このときの家数193、うち旅籠屋15、人数803。弘化2年(1845)の宿絵図によると家数181のうち旅籠19、茶店と兼業を合わせると32、茶店2で兼業をいれると12、その他の商店7などで、農業133と隣の庄野宿同様農家の割合がおおく70パーセント以上を占めている農村的色彩の濃い宿場であった。
前述の宿役軽減嘆願書には宿困窮の理由として、参宮客は上方は関宿より、関東方面は四日市から伊勢参宮道を行くし、荷物は白子浦・若松浦から亀山のルートを通りこの地を通らないことを揚げている。
明治23年関西鉄道が開通し、現加佐登駅が開設されると、石薬師宿は急速に衰えていった。
国道1号線が旧東海道筋の東側にバイパスとして付け替えられたので、宿場当時の町並は残っていると思い訪ねたのだが、宿場の名残は旧小沢本陣と佐佐木信綱の生家位で、あまり残っていなかった。でも格子戸を備えた町家が点在する明るい開けた感じの町並だった。
町並み指数 30
参考文献
  三重県の歴史散歩  山川出版社  三重県高等学校社会科研究会  1994年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

石薬師町の佐佐木信綱の生家

石薬師町の町並

石薬師町の旧小沢本陣

石薬師町の町並

石薬師町の町並

石薬師町の町並
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