名古屋城の東部にある東区白壁町・主税町・撞木町地区は江戸時代には、知行300石級の尾張藩の中級武家屋敷が並んでいたところである。 北側から白壁町、主税町、撞木町と並んでいる。江戸時代の白壁町、主税町、撞木町などの家数や人数は武家町のため不明である。参考までに明治41年では白壁町の家数は229軒・人数901人。主税町の家数253軒・人数1,415人。撞木町の家数は298軒・1,411人であった。 慶長16年(1611)堀川掘削が始まり、完成後は物資運搬と都市排水に利用された。慶長17年(1612)には検地が行われ、城下の町割りが完成し、城下は武家地・寺社地・町人地に分けられた。それまでは、武士、町人ともに清須と名古屋をかけもちしたり、近郊の知行地に仮宅を設けたりしていたが、この頃には定住が進んだ。 大まかに城下は武家屋敷・寺社門前・町人町で構成されていた。町人町は上町(久屋町筋以西・堀川以東・京町以南・広小路以北で、碁盤割りの町)に集中し、美濃路・下街道・岡崎街道沿いに発達していた。 武家町は郭内南部、及び上町周辺、城の北西、東部に広がり、その外側、特に南方に寺社門前が集中している。これらの城郭と城下町の体裁は元和年間(1615〜1623)には整ったと思われている。 今町並みを歩くと、武家屋敷当時の面影は町割りや生垣、長屋門、塀等に残っている。大都会の中心地にこれだけ静かな高級住宅地が残っているものと思う。道路両側には樹木が生い茂り落ち着いた町並みである。でも昔の面影を残しているのは、通りに面した部分のみで、大きな武家屋敷門の内側には巨大なマンションがデンと鎮座していたり、料亭になっていたりして、確実に開発の波はこの旧武家屋敷町にも押し寄せていた。現に訪ねた当日でも、2ヶ所で巨大なマンションの工事が進められていた。 愛知県の歴史散歩上 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
白壁町4丁目の町並み |
白壁町4丁目の町並み |
白壁町5丁目の町並み |
主税町3丁目の町並み |
主税町4丁目の町並み |
白壁町4丁目の町並み |