波切は大王崎の先端にある集落である。「伊勢の神埼・国崎の鎧・波切大王なけりゃよい」と船乗りたちに恐れられた難所で、座礁難破する船が多い所。 江戸時代を通じて鳥羽藩領で、延享2年(1745)の家数241・人数1,356。明治13年には家数701・人数4,071とある。 古くから志摩の江戸といわれ、南志摩の経済・文化の中心であった。波切港は避難港として知られていた。 波切集落は太平洋に突出した岬の先端にあり、台風のコースにあたり、台地への傾斜地区には防風のための石垣が築かれている。車を波切港の岸壁において波切集落を歩き出したが、岸壁からは急な石段の坂が続き台地の上に出る。台地の上には大きな道が通り商店街が展開している。予想していなかっただけに驚いた町並みだ。3〜4mも石垣を積んで防風対策された民家も多く見られたが、その前の家の方に、この石垣は何のためにと聞いても、さあ〜昔からあったよとの返事が返ってきた。 港から台地の上に登るに従い人家が無くなり、山の中に入っていくものとの予想が裏切られ、台地上には立派な商店街が展開していて、志摩の江戸といわれる由縁と感心した。 江戸時代の生業は何だったのだろう。傾斜地には人家が密集しているから漁民が多かったのだろうが、台地上の平坦部には志摩の江戸と言われるくらいだから、商家も多くあり、賑わっていたのだろう。 寛文4年(1664)頃の船数は79艘で、うち鰹釣船24・小いさば船10・とっぺ船15・ちょろ船30とある。 海難の多いところで、天保元年(1830)に起こった波切騒動は有名であるが、主題とは異なるので記載はしないでおこう。 三重県の歴史散歩 山川出版社 三重県高等学校社会科研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
波切の町並 |
波切の町並(防風の石垣) |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並 |
波切の町並(防風の石垣) |
波切の町並(防風の石垣) |
波切の町並(防風の石垣) |
波切の町並(防風の石垣) |