尾鷲市須賀利の町並み
須賀利
地図


須賀利の町並
 尾鷲湾口の北部に突出した通称島勝半島の南半分が須賀利浦で、東に元須賀利湾、西に須賀利湾がある。
「紀伊続風土記」に「此村旧は巽の方出崎にありしに風波荒く住かたき故、今の地に移すといふ、旧の村居元須賀利といふ」とある。元須賀利湾が南の風波を直接受ける位置にあるため、現在の地に移住したと云われ、口伝として半数は島勝浦へ、半数は須賀利浦へ移ったと云われる。
江戸期は紀州藩領。尾鷲組に属し、慶長6年(1601)の家数58。寛政5年(1793)の大差出帳に家数58・人数363・船数32(鰹船6・さっぱ船12など)・網数10と記され、殆どが漁業によって生計をたてていた。鰹・いせ海老漁などが行われ、風待ち港として諸国廻船が寄港し、商業も発達していた。
江戸後期に鮪や鰹が湾奥深く入り込むことがあり、天保10年(1839)には3,795尾もとり、鰹も大漁であった。翌11年(1840)にも鮪30,900尾もとり、一戸当たり9両を全戸に配分している。網方などは一軒一日につき25両の収入となった。
文化13年(1816)の記録では186艘が入港し、船は3〜4日滞船することが多く、船宿が13軒もあった。
今、町並は僅かな平地と傾斜地に密集して家屋が建つ漁村集落である。傾斜地は全て階段での連絡路になっていて、等高線に沿っては細い路地道がある程度だ。自転車で走れる道は。防潮堤の内側にある道のみであった。
町並み指数 50  
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   
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