九鬼浦は九鬼湾の中央部北岸にあり、小さな岬が荒波を防ぎ湾内は天然の良港となっている。江戸時代は尾鷲組に属し、慶長6年(1601)の家数43。寛政5年(1793)の大差出帳に家数97・人数521・船数76(鰹船10・さっぱ船45・伝馬船20など)・網数34(ムロアジ網13・細魚網6など)と記され、漁業が主であった。 元和2年(1616)頃九木崎に灯明台(灯台)が置かれ、寛永12年(1635)頃遠見番所と狼煙場が設置された。天和3年(1683)から捕鯨をはじめ、宝暦4年(1754)から捕鯨は藩営となり鯨方役所が置かれ、近在から192人の水主が集められた。捕獲数は年間30から40頭位であった。 九鬼湾は波静かな天然の良港として、江戸時代から知られ風待ちのため諸国廻船が入港した。「紀伊続風土記」に「本国三の大湊ありて是其一なり。諸国廻船常に茲に泊して最繁昌なり」と記され、そのため内海屋・播磨屋のどの船宿が17軒もあった。 また幕府領から江戸に廻送する御城米船の入港は、天明元年(1781)から文久元年(1861)まで214隻にものぼっている。 明治2年の家数151・人数557・船数30、網数16となっている。明治33年大阪ー熱田(名古屋)間の定期航路の大阪商船が九鬼港に寄港するようになり交通が便利となった。 町並みは漁師町そのものの様子で、細い路地道にぎっしりと民家が建ち並んでいる。中には千本格子を備えた伝統的な様式を守った家屋も散見できるが。大多数は板張りの切り妻造り平入りの民家である。多分軽自動車も通らないであろう道が集落のメイン道路である。リアス式海岸にあって、この集落のように平坦地にある漁村は珍しいものだ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |
九鬼町の町並 |