尾鷲市古江町の町並み
古江町
地図


古江町の町並
 熊野灘の賀田湾西岸に位置し、北西の水晶山(464m)が冬の寒風を遮り、四季温暖の地で、平地が少ないため山裾の階段状斜面に人家は密集している。
慶長6年(1601)の検地帳では古江村と記され、家数21とある。紀伊藩領木本組に属し、寛文頃(1661〜73)古江浦と改称している。寛政5年(1793)の大差出帳によると、家数69・人数477・船数36・網数20。
「紀伊続風土記」によると夏は鰹、冬はサンマ漁が中心だったという。集落の殆どの人が漁業に係って生活をしていたようだ。
明治5年の家数106・人数560。家数106の内漁業91・商業12とあるが、商業の内でも10戸が魚の仲買・小売であった。このように明治に入っても殆どの人が漁業に係って生活されていた。そして明治末期頃から遠洋漁業が盛んになってきた。
今も町並みは山裾の傾斜地に階段状に並んでいる。縦の山に向かっての道は全て階段。横の等高線に沿った道は平坦ですが細く、人も出違いできないような道ばかりだ。
その中で一軒の家が引越しされていた。家までの傾斜が登れないので、息子の家で厄介になるとのこと。全ての引越しで無いが、生活用品は持っていくと整理されていた。
集落の今の生活の糧は何だろうと思う、漁業と思いたいが、そうではないらしい。せめて20パーセントは漁業に従事されていたらと思う。出会った人に聞いても年金生活としか返事が返ってこない。
町並み指数 40  
参考文献
  三重県の歴史散歩  山川出版社  三重県高等学校社会科研究会  1994年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

古江町の町並

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