名古屋市鳴海町の町並み 
鳴海町作町・鳴海根古屋・鳴海町本町・鳴海町相原・鳴海町下中
地図


鳴海町の町並
 慶長6年(1601)東海道の宿駅として鳴海宿が成立した。鳴海の宿駅は北から丹下町・北浦町・花井町・山花町・作町から東に折れて扇川に沿って根古屋町・本町・相原町・中島町で扇川を渡って平部町とL字に町並みが続いていた。
宿場の中心は作町・根古屋町・本町で本陣・旅籠などが集中していた。
鳴海村は尾張藩領で鳴海代官所支配で江戸時代を終始した。寛文末年(1670頃)の「寛文覚書」によると、家数533・人数3,195。「徇行記」では家数879・人数3,274とある。天保14年(1843)の「東海道宿村大慨帳」によると、本陣1・脇本陣2・旅籠68・家数847・人数3,643。
伝統産業に鳴海絞(有松絞)がある。起源については文献上はっきりしないが、名古屋城築城の際、九州豊後出身の三浦玄忠の妻が伝えたとの伝承がある。鳴海宿が成立後に有松村が開かれ、藩の保護を受けて絞染の名産地となり、有松・鳴海・大高一帯で隆盛を極めていた。
繁栄を極めていた鳴海宿も明治に入り宿駅制が無くなり衰退し、明治22年東海道線の開通によって、宿場の機能が著しく衰えてしまった。そして農業への転換、米穀や肥料の仲買商への転業が図られたが、多くは東海道筋の通行客の減少で、店頭商いが成り立たなくなり、小売業から絞問屋へと変換する業者が多かった。
今回訪ねた町並みは鳴海町下中から中島橋を渡り、相原・本町・根古屋・作町と東から西に向かって歩いた。伝統的な様式で建てられた古い商家の建物が点在はしているが連続とまでは行かない。それでも残っている建物は一階の軒部分の高さが揃っているのが各所で見られ、宿場町当時の伝統な町並みが守られているのが解る宿場町である。
町並み指数 40
参考文献    
  愛知県の歴史散歩上  山川出版社  愛知県高等学校郷土史研究会 1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会
  愛知県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年

鳴海町の町並

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