名古屋市中小田井の町並み 
西区中小田井一丁目
地図


中小田井一丁目の町並み
 小田井は中世には織田井(おた井)といわれ、近世には上小田井・中小田井・下小田井の3村に分かれていた。中小田井は新川と庄内川に挟まれた地域で、度重なる川の氾濫に苦しめられた。江戸期を通じて尾張藩領であったが、明治元年からは尾張藩領と美濃今尾藩領との相給で、大代官所支配であった。
寛文末年の「寛文覚書」によると、家数141軒・人数661人で、たびたび水害の被害があったが、天明年間(1781〜88)に新川完成以後は水害が減った。
文政5年(1822)の「徇行記」によると家数147軒・人数600人で、「此村ハ庄内川ノ西北堤ノ下ニアリ、岩倉街道ハ北ノ方へ通シ、此間両側ニ民屋建ナラヒ、農戸商戸雑錯セリ、元ヨリ此村落ハ街道にカカレリ、サレハ交易便利ナルニヨリ村立ヨキ所ナリ、‥‥‥」と記されていて、庄内川沿いにあり、村内を岩倉街道が北に抜け、農家と商家が混住し交易の便利なところであったようだ。岩倉街道は名古屋城下から岩倉方面に至る街道で、中小田井はその経路にあたり、野菜類や生活用品を扱う商家が建ち並ぶ町が形成されていた。
現在の建物は、主に明治24年の濃尾地震後に建てられたものであるが、切り妻造りの伝統的な商家の建物が連なる。
古い町並みが残る街道筋は短く約300m程度である。でも名古屋駅に10分、繁華街の「栄」にも20分程度で出られる位置にありながら、いかにも田舎ですという感じはどうしてだろうと思う。
町並み指数  40
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年
   愛知県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年

中小田井一丁目の町並み

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