三重県と奈良県境に位置する奥津は紀伊半島中央部の北にある交通の要衝だが過疎に悩む村落である。 村内には伊勢本街道がとおり、大和から榛原ー奥津ー横野ー片野ー田丸ー伊勢へと続いていた。江戸時代はじめは津藩領で元和5年(1619)からは紀州藩松阪領のまま明治を向えている。伊勢本街道に沿う宿場として栄えていた。明治2年の大指出帳によると、家数138・人数590。明治13年の家数147・人数757人であった。産物は薪・葉煙草・茶であり、ともに津や松阪へ出荷されていた。 こんな所にJR名松線終点の伊勢奥津駅がどうしてあるのかと調べると、松阪と名張を繋ぐ国鉄名松線は昭和10年伊勢奥津駅ができて奥津までは開通したが、その先は工事もされずに、今でも奥津〜名張間はバス連絡である。 町並は過疎の村そのもので、駅前の商店でも店を閉じていて、全く眠ったような村である。それでも旧伊勢本街道筋の宿場町らしい雰囲気の家が並んでいた。中には昭和20年代まで旅館を営業していたという家もあった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
奥津の町並 |
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