この地域の江戸時代は乙方村と云われたところで、南知多道路(有料自動車道)豊丘ICの北(知多湾側)3〜400メートルの所である。 民家は西浦街道(常滑街道)の豊浜と東浦街道(師崎街道)の矢梨を結ぶ県道280号線に沿って展開していた。 江戸時代は尾張藩領、鳴海代官所支配であった。「寛文覚書」によると家数35・人数271。「徇行記」によると「小百姓はかりにて……」とあり農業を主として、黒鍬稼ぎ(土木専門の出稼ぎ)を禁止していた。畑は山畑が多く芋・人参・牛蒡を産し、とくに芋は美味で柔らかいと知られていたようだ。 古い町並みは前述のように県道280号線に沿った蟹川の対岸に展開している。短い区間であるが、板貼り家屋の見ごたえのある町並みが展開していた。 愛知県の歴史散歩上下 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
小字仲嶋の町並 |
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