南知多町篠島は知多半島先端の師崎から南東海上4kmに浮かぶ、周囲6kmの小さな島。 江戸時代は尾張藩領。篠島村の村高は「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに73石、「旧高旧領」135石余。「寛文覚書」によると村高135石余、反別8町余(田1町余・畑8町余)。 耕地の少ない篠島には優秀な漁業集団が居住し、古くから漁業が盛んであったが、さらに地頭である千賀氏によって漁場の開発、漁法の導入・改良が積極的に行われた。 肥料としての干イワシの需要増大も加わって、大規模に行われるようになった。製塩や捕鯨も行われた。 「徇行記」によると家数130・人数584、漁業を主とし、女は時々海藻をとり、畑は潮風のため生産物が痛むことが多かったという。民家は北の浜辺に建ちならび、漁獲物はタイ・スズキ・イナダ・ハス・タコなどで干物も作る。貝類はサザエ・アワビ・イノカイ。海藻はヒジキ・アラメ・フノリ・ワカメ・アマノリなどであった。 明治24年の家数285・人数1,562とある。漁業が中心であったが近年観光地としても発展してきた。 師崎や河和からの高速船が篠島の北端近くに着くため、昔からの集落までは遠く、観光産業の旅館やホテル・民宿の増加にブレーキを掛けた状態になっている。その分近くの日間賀島の西部のホテル・旅館の発展ぶりには目を見張る。島の住民からすると漁業を取るか、観光産業を取るかで、高速船の発着場が違ったのを真近くで見た感じである。 でも、開発が遅れた分だけ、古い町並が残っていると思えば篠島を訪ねた値打ちがあろうと云うものだ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
篠島の町並 |
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