知多半島の先端に位置する師崎(もろさき)は古くは幡頭崎と云っていたが、江戸初期頃から師崎いうようになった。 江戸時代は尾張藩領で、この地には千賀氏を置いて1500石を与え、船奉行とし、遠見番所も設け尾張・三河・伊勢・志摩4国の通船の取り締まりを行った。 「寛文覚書」によると家数275・人数1,492・廻船27・小舟17とあり、舟役御用の時は舟と水主を出すとある。 また、「徇行記」によると、「漕賈又ハ漁業ヲ第一営ミトスル所故ニ中トホリ屋並ヨク町モアリ」とあり、酒屋が3戸、酒は伊勢・志摩・紀伊へ送る。廻船所有者16人、600〜800石積廻船3艘、いさば船14艘、漁師は39人、漁船8艘、小船55艘がある。とあり漁業と廻船業が生業であった。集落は港を取り囲むように密集していた。 享保16年(1731)より1と5日六斎市が開かれ、3月と12月の22日〜26日にも市が開かれた。 宝永2年(1705)の記録では鯨漁、シビ・イルカ漁が行われていて、元禄4年(1692)の記録では師崎の船勢は79艘とある。 集落は港に沿って国道247号線の山側に展開している。漁師町らしく路地のような細い道路が縦横に走っているが、意外にも集落内は平坦である。伊勢湾沿岸に多い黒板塀の家屋もあるが、不思議に黒色でなくて褐色に塗られている。 そして集落内のあちこちに小さな商店が健在でそれぞれ営業されたいるのも、今の時代には特異に写る現象と思う。釣り客が多いのでしょうね、あちこちに○○丸とかいた釣り船宿の看板が目立つ集落だった。 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 愛知県の歴史散歩上 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 |
師崎の町並み |
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