南知多町日間賀島東里は、知多半島先端の師崎の東海上3km程の所に浮かぶ、日間賀島の東部 である。 日間賀島村の江戸期は尾張藩領。村高は「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに50石、「旧高旧領」93石余・畑18町余。「徇行記」によると」、家数230・人数938、「専ラ漁業船乗ナドヲ以テ産業トス」とある。漁獲物はタイ・ナマコ・スズキ・イカ・イワシ・サザエ・アサリなどで、特にコノワタは有名であった。。 耕地の少ない日間賀島には優秀な漁業集団が居住し、古くから漁業が盛んであったが、さらに地頭である千賀氏によって漁場の開発、漁法の導入・改良が積極的に行われた。 肥料としての干イワシの需要増大も加わって、大規模に行われるようになった。製塩や捕鯨も行われた。明治24年の家数281・人数1,311。 活況を極めた漁業も現在では典型的な沿岸漁業に代わってしまっているが、今でも住民の多くが漁業関係に従事し、獲る漁業から育てる漁業へと転換し、ノリ・ワカメの養殖は盛んである。特に最近では観光事業が盛んとなっている。 ,知多半島先端近くの東岸河和から高速船でに乗って日間賀島東部にやってきた。緩い山の傾斜地に板張りの家屋も混じった漁業集落が展開していた 。そんな中に簡易郵便局まであり、民宿が各所に小さな看板を揚げていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部の町並 |
日間賀島東部で壺が塀になっていた |