美浜町奥田は江戸時代には北奥田村と南奥田村に分れていた。共に尾張藩領、横須賀代官所支配であった。 上野間村の南で西浦街道に沿って町並みが発達し西側は伊勢湾に面していた。南側は一色村である。海岸に面しているが単調な砂浜のためか漁業は発達せず、農業中心の集落だった。 「寛文覚書」によると北奥田村は家数130・人数800。南奥田村は家数80・人数613とある。「徇行記」によると両村とも西浦街道に沿って民家が並び、小百姓ばかり也とあり貧民が多かったようだ。そのために出稼ぎが多く、「黒鍬稼ぎ」(土木専門の出稼ぎ集団)が北奥田村では100人程、南奥田村では90人もいたという。農業の他には北奥田村には漁師が一戸、南奥田村には酒屋が2戸とある。 今、古い町並みは国道247号線の東側の旧西浦街道沿いに展開する。黒板貼りの民家や土蔵が連なる光景は伊勢湾岸沿いの光景独特のものだ。宿場町や在郷町と違い、街道に面して主屋の入り口を作る必要がないため、街道に面した黒板貼りは全て民家の側面になっているのが、この地の農村集落の特徴と云えば特徴だろう。 愛知県の歴史散歩上下 山川出版社 愛知県高等学校郷土史研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
奥田の町並 |
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