美浜町野間の町並み 
大字野間小字若松
地図


大字野間小字若松の町並
 美浜町大字野間は大きな地域で、江戸時代には北から一色村・柿並村・細目村・小野浦村に分れていた。今回訪ねたのは旧一色村にある3集落(若松・中新田・本郷)の内の若松集落である。上記4ヶ村は明治11年合併して野間村となる。
一色村は「寛文覚書」によると家数147・人数822。野間では廻船業に見るべきものがあり、一色村と小野浦村の船だった。
天明6年(1786)の知多郡一色村船数並入石御改帳によると250〜400石積の大船16艘、100〜180石積の木船28艘、30〜110石積いさば船14艘、漁船36艘があった。また、別の記録では寛政2年(1790)一色村の船は12石〜600石まで73艘とある。
野間の廻船は初め大坂の物資を運んでいたが、次第に瀬戸内海沿岸の塩の輸送をし、もっぱら塩船として活躍していた。そして内海(美浜町)の船は御蔵米を運送していたが、共に常滑焼や干鰯・呉服・金物・紙・肥料・酒・木材などの雑貨を扱うことでは他の追随を許さなかったという。
菱垣廻船や樽廻船・北前船などの規模には及ばないが、日本の海運史の中でも特色ある存在であった。
「徇行記」には「家多く魚仲買と漁師の家軒を連ね、農家はない、古来より漁業を産業とし、覚書にも平田船42艘、船役御用のときには舟水主を出し、大網2帖、地引網7帖などで、この村は魚仲買も漁師も共に利潤を得て、船数も増し、今300石積より90石積までイサバ船46艘、漁船40艘あり、塩・薪・その他外商荷物の運送を営み、漁業は鰯・ヒシコその他小魚を取る」とある。
今集落内を歩くと、黒板貼りの家屋が連なった見事な集落である。家や土蔵の黒板貼りは約30cm程の下見板を細い木(押えぶち)で張り付た外囲いで覆われていて、煤と魚油で練った防腐剤で黒く塗られている。
この外囲いは、建物の本体を雨や海風から守り、40年位経って痛むと取り替えるように作られているものである。 
町並み指数 40
参考文献    
  愛知県の歴史散歩上下  山川出版社  愛知県高等学校郷土史研究会 1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会

小字若松の町並

小字若松の町並

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