御浜町は「年中ミカンのとれる町」として脚光を浴びている。阿田和は三重県の南端近く熊野灘に面する七里御浜の中央部の熊野街道沿いに位置する。 慶長6年(1601)の検地帳に「阿田和」と記され、はじめ紀州藩領であったが、元和5年(1619)から新宮藩領有馬組に所属する。江戸時代初期の家数56。寛文年間(1661〜73)頃の家数120。地引網の漁業が行われていた。明治に入り木綿が盛んに織られ、養蚕も活況を迎えたが、何れも衰退し代わって温暖多雨の気候を利用してミカン栽培がはじまり、桑園からミカン園に切り替えられ、盛んにミカン栽培が行われるようになった。 明治22年の家数528・人数2,770。今はミカン栽培を基幹産業とする農業地域。 旧熊野街道沿いの町であり、古い町並みが残っていると期待して訪ねたが、古い町並は殆ど残っておらず、伝統的様式の建物が少し点在していた程度だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
阿田和の町並 |
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