濃尾平野東南端、知多半島基部で、鳴海町の南に位置している。古くから知多半島や東への交通の要衝として開けていた。 江戸時代は尾張藩領、鳴海代官支配であった。寛文11年(1671)の「寛文覚書」によると家数322・人数2,128とあり、「徇行記」では家数618・人数2,359とある。 産物は大高菜が名高く、酒造業も盛んであって、農業と商業を兼ねた者が多かった。 今、この地区には連続した古い家並みは残っておらないが、2〜300メートルの範囲に3軒もの造り酒屋が今でも操業されている。古い町並みはそれらの造り酒屋の主屋や酒蔵の町並みであった。レンガ煙突も残っていて、黒い板張りの酒蔵が醸し出す古い町並みが周りに落ち着いた雰囲気を伝えていた。 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
大高町西門田の町並み |
大高町西門田の造り酒屋 |
大高町西門田の造り酒屋 |
大高町西門田の町並み |
大高町高見の町並み |
大高町高見の町並み |
大高町高見造り酒屋 |
大高町高見の造り酒屋 |